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July 20, 2006
マイナスあってのプラスということ
藤本みさえさんのお話を聞いた。昔話や物語は、どこかにちゃんと、「人間がどう生きるか」のようなエッセンスをちりばめられている。おはなしの先がなんとなく分かっていても、それが藤本さんのことばで語られると、色や形がぶわっとリアルに浮かんで迫ってくるのだから不思議だ。
この頃たくさんの方のお話を聴く機会に恵まれている。そういう場所に行くと不思議と時間がゆっくり流れる感じがする。語り手の人の口調は決まって穏やかだ。淡々としてるのに説得力があって、一言で言うなら深い。
物語を語る合間にこんなおはなしをしてくださった。「幸せって たとえばそれまでとても苦労したからその後になって、ああ幸せだなあって改めて思えるんじゃないかしら。今朝も出来合いのサンドイッチを買って食べていたのだけど、家から無農薬のプチトマトを2つ持ってきたのです。それを口にしたらなんて美味しいんだろうって。サンドイッチの中のトマトとは全然違って味が濃いんです。本当においしかった。でももしかしたら今の世の中、お店で作ったものしか食べたことのない子がいるんですよね。取れたてのものをその場で料理して食べさせてあげるということ大事だなあって思います。この歳になって今更って思うんですけど。」
それから「私を束ねないで」という詩集を紹介してくださった時、私はなんだか顔が赤くなるくらい恥ずかしくなった。いらいらやストレスを人に対して感じること自体、自分の感受性を鈍らせているのだということを思い知ったから。
みんな素敵にいきているのだなあと思う。
投稿者 yumi_kitajima : 10:35 PM | コメント (0)
July 16, 2006
人間が生きていくということ
「ロボット化するこどもたち」という本を興味深く読んだ。ロボットを作る過程と教育とのおもしろいほどの重なりが書かれていて、そこに加えて自閉症児の学びに関する研究も書かれていた。
総合学習がなぜ浸透しないのか、ずっと疑問に思ってきた。総合学習をすることがなぜ大切なのかを、周りのたくさんの人に伝えたくてもうまく伝わらなくて結局口を閉じてしまう。だからこの本を読んですっきりした。そして同時に、今の教育に対する危機感を余計強く感じている。
リトミックについて、先日よくわからないという人からこんなことを言われた。「リトミックはいいというけれど、もし自分の子どもをレッスンに行かせるとしたら、何年かすればこんな風になります というものを実際見てみないと納得できない面があるんですよね」そう、だれもが結果を見たいと思うしその結果がこんなに素晴らしいものだという保障があればいくらも何でもやらせたい というのが今の親のだれもが考えることなのだろう。でもこの「ロボット化・・・」の本の中で印象に残っていることは、教えようと躍起になってもダメであること、目標到達までの過程を逐一分析して一つ一つ確実にできるようにしていく学習はこれからの学びではない、ということを言い切っているのである。つまり無駄や回り道、あるいはアクシデントを経験することによって、まるで副産物みたいに教えたいと思っていたことがどんどん身についてしまうということ。つまり教える側に楽なこと~○○法のような教え方~は教えられる側には身についていかないことで、教える側(親も含め)がひたすら待ってその子のこだわりや関心を観察していくことが大きな学びにつながるというわけである。
いいかえればこれまでの教育は教える側にとって楽なことで、子どもの学びの立場に立っていないということだと思う。子どものフリ-な時間を確保して欲しい。常に何かをさせるのではなく、時にいらいらしてもとことん子どもの時計に合わせることをして欲しい。汗びっしょり、泥だらけ、雨にうたれること、そんなちょっと気持ち悪いけど最後には「いいや!」って思ってしまう体験を子どもと一緒にして欲しい。
今の子は授業(レッスン)に集中できない子どもたちである- そうくくるのではなく、ほんの一瞬でも全員が集中できる場面を自分は提供しただろうかをいつも自問できる指導者でありたいと思う。回りと違うことをしている子のわけを観察、分析したら見えてくるたくさんのメッセ-ジがあるはずだから。教育について私たち大人がもっとしっかり考えなければいけない。それは人間がどう生きるか ということにつながる。
投稿者 yumi_kitajima : 11:46 PM | コメント (0)
July 06, 2006
おはなしばたけ
絵本を読むのではない。物語を全部暗記する。そして何度も練習して自分のことばになった時、初めてこどもたちに語ることができる。そういう活動をしている人のお話を聞いた。今回語った方は三水地方の方で、お話もしたがってあえて三水の方言で語って下さった。
私の母は戸隠というところの出である。今は亡き祖母はまさしくこの三水地方の方言を使って話していた。だから今回のお話はなんだか私の耳にとても心地よく届いた。忘れたくない方言だ。かえるをげえろという。まっくろかえして飛んでった は大急ぎで走っていったということである。あなたのことを われ ともいう。そんなことばのつながりがすっかり忘れていた子どもの頃の祖母の家の記憶を呼び起こした。広い土間。薪のふろ。外にある厠。お蚕さんを飼っていた名残の広い広い部屋。囲炉裏。そこでそばを打つ祖母のしぐさの一つ一つ。テレビやアニメの昔話の中でない確かな私の記憶の中にある風景。できればその場所にもう一度身をおきたいと思った。自分の子どもたちにもそのときのたくさんのにおいを嗅がせてあげたい そんなことを強く思った。
雨がずっと降っていて、気持ちもしっとり落ち着いた。